私が適応障害になるまで【その1】
転職が決まり出勤日まであと少しなので
前職でのことを振り返ってみようと思います。
夢と希望を抱いて入社
前職には新卒で入社しました。
ざっくり福祉系の会社です。
大学の卒論もこの分野のことを研究したくらい、興味のある分野でした。
「◯◯なことができるようになりたい!」
「◯◯のことで貢献したい!」
そんな風に夢と希望に満ちあふれていました。
インターンでの経験から、この分野は転職とさえ思っていました。
いざ入社
配属された場所は少人数の部署でした。
主な人物はこの3人です。
- 管理職の男性...30代半ば
- お局...40代後半
- お局の側近...40代後半
お局とお局の側近がルールのような部署でした。
管理職も思うことはあるみたいでしたが、何も言えないような雰囲気でした。
また、この3人は仲が良いのか、プライベートのこともよく話をしていました。
すでに輪が出来上がっており、その雰囲気に入れるかが、この部署でうまくやっていけるかどうか肝だったように思います。
お菓子はずし
私はうまく雰囲気になじめなかったのです。
仲は良くなくても、仕事に支障のない関係性を築きたかったので、分からないことはどんどん質問して、明るく振舞っていました。
しかし、プライベートの話に入らなかったのが悪かったのか、私は少しずつ孤立してしまいました。
すると次第に、お客さんや他の社員からのお土産を私はもらえなくなりました。
大人でもこんなことするんだと驚きました。
休憩時間に飲むコーヒーやお菓子をみんなでお金を出し合って買っていたのですが、そのコーヒーやお菓子も私は食べることができなくなりました。
私が届かないところに置くからです。
きつい言葉の数々
お菓子はずしが始まったのと同じくらいに、きつい言葉を言われるようになりました。
「社会人としてのスキルが足りないのかと思ってたけど、人間としてどうかしてるんだね」
「悲劇のヒロイン気取ってるみたいだけと、あなたがそこにいるだけで、私に損害を与えてるって気づかないの?」
「どうやったらあなたみたいな子どもが育つのか聞いてみたいわ」
このようなことを毎日のように言われていました。
また、他の社員の前で1時間以上も怒られることは日常茶飯事でした。いわゆる吊るし上げてす。
今日は何を言われるんだろう。
いつ言われるんだろう。
そんなことが頭の大半を占めるようになり、仕事にミスも出てくるようになってしまったのです。
また、このようなことを言われるのは、管理職がいないときに限られていました。
親の反応
私は実家暮らしなので、家に帰って親に愚痴を言うこともありました。
しかし、親は取り合ってくれませんでした。
社会に出たら大変なことはいくらでもある。
こんなことで大変って言っててどうするのか、と。
それからは誰にも話をすることができなくなりました。"甘え"と言われるのが怖かったからです。しんどい、でも誰にも言えない、たすけて。そう思っているうちに症状が出始めました。
今回の記事ではここまでにします。
書きながら涙が出てきました。
わたしにも悪いところはあったんだと思います。仕事がもっと出来ていれば、違ったのかもしれません。
次の記事では症状がでるところから書こうと思います。